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2012年07月06日

西郷菊次郎

西郷菊次郎は1861年西郷隆盛・愛加那の長男として龍郷で生まれました。
1869年九歳の時に鹿児島西郷本家に引き取られる。
1871年勉学の為に上京。1872年農学修行の為アメリカへ留学。
1874年アメリカ留学を終え帰国。
1877年(明治10年)17歳の時に西南の役に従軍し、右足に被弾。膝下から切断の重傷を負う。
明治13年より明治14年まで龍郷に帰郷
明治17年より外務省へ
明治28年台湾総督府参事官心得
明治29年台北県支庁長
明治30年宜蘭庁長
明治35年宜蘭庁長を依願免官。
菊次郎と台湾のつながりは深く河川工事、農地の拡大、道路の整備、樟脳産業の発展、地方の反乱等を抑えて住民生活を安定させ、そして教育 の普及事業などに取り組んだ。
菊次郎の1番の偉業は、『西郷堤防』を完成させたことでした。洪水に苦しめられていた住民を救いました。
インフラの整備・治水・教育・産業の育成に尽くし徳政をしきました。

現在でも『西郷庁憲徳政碑』と刻んだ石碑が宜蘭河畔に立ち、菊次郎の徳政を後世に伝え続けています。

明治37年より明治44年まで、京都市長
明治45年より大正9年まで島津家永野金山鉱業館長
昭和3年11月27日鹿児島で没(行年68歳)

西郷隆盛は、あまりにも有名人なので、
島妻 愛加那との間に生まれた。
菊次郎のことをUPしました。
西郷隆盛の息子とはいえ、奄美のDNAをもつ先人が活躍されていたことは、我々島の人間は誇れる事じゃないでしょうか。 素晴らしい先人の功績に敬服いたします。
菊次郎は菊草という妹と2人兄妹でした。
本龍郷に記念碑があります。
興味のある方は
是非どうぞ
西郷菊次郎関係の資料もあったはずです。



  

Posted by おっしー at 23:30Comments(1)歴史

2012年07月06日

大熊舟勝負祭り 準備編

7/15 日曜日は、大熊舟勝負祭り
主催 大熊舟勝負祭り実行委員会(大熊青年団・大熊壮年団)
後援 大熊町内会
場所 大熊漁港
時間 14:00
準備期間はあと10日

去年は、台風接近で中止になりました。
青年団が、祭りでやるはずだった屋台を公民館の庭で急遽 やりました。
もちろん、お楽しみ抽選会も

さあ、今年はどうでしょう?

『大熊舟勝負祭り』は元々は
『大熊港祭り』として開催されていました。私が大熊に帰ってきた頃は、舞台を組んでいろいろな出し物を催してました。 昼間は、舟漕ぎ 夜は舞台での催し物&花火大会(20発ぐらいだったけど)
をやってましたね。
私も、打ち上げましたよ‼

あっそうそう 大熊の鰹船での模擬釣りもしてました。

今は、舟漕ぎ競争も町内の班対抗戦が主体 後は上方地区のチームが少しですかね。

青年団長が手書きで作ったらしい
このポスター‼

この前の競争艇補修は
このためでした‼



  

Posted by おっしー at 00:22Comments(0)集落行事