2014年03月23日
大熊大空襲
約70年の3月27日大熊は大空襲にみまわれました。
折しも、その前日は
戦時中には『鬼畜米英』と呼ばれた
米軍が沖縄沖に大挙押し寄せた日でした。
奄美大島は、瀬戸内に海軍基地があり、赤尾木には無線基地があり軍事拠点だったんでしょう。 いや…。だった
大熊湾の先の立神には、難破した捕鯨船『きょくよう丸』があり、その難破船と大熊集落への集中砲火だった。
この大空襲による大熊集落の戦災は
焼失家屋141戸焼死者1名
甚大な被害だった。
内地の空襲ばかりcloseUPされますが、我々の集落でもこれだけの被害を受けたのです。
その砲火たるや、現在の花火大会のような間断ない爆撃が続き 赤々と燃え上がる空に防空壕の中から子どもたちは、恐怖に震えながら見上げたそうです。
大熊集落は当然 焼け野原です。
その焼け野原から大熊集落を
復興していただいた先人に感謝します。
『大熊大空襲』
時の流れに忘れられていくかもしれません。
しかし、大熊集落のDNAに刻むべき歴史ではありませんか。

折しも、その前日は
戦時中には『鬼畜米英』と呼ばれた
米軍が沖縄沖に大挙押し寄せた日でした。
奄美大島は、瀬戸内に海軍基地があり、赤尾木には無線基地があり軍事拠点だったんでしょう。 いや…。だった
大熊湾の先の立神には、難破した捕鯨船『きょくよう丸』があり、その難破船と大熊集落への集中砲火だった。
この大空襲による大熊集落の戦災は
焼失家屋141戸焼死者1名
甚大な被害だった。
内地の空襲ばかりcloseUPされますが、我々の集落でもこれだけの被害を受けたのです。
その砲火たるや、現在の花火大会のような間断ない爆撃が続き 赤々と燃え上がる空に防空壕の中から子どもたちは、恐怖に震えながら見上げたそうです。
大熊集落は当然 焼け野原です。
その焼け野原から大熊集落を
復興していただいた先人に感謝します。
『大熊大空襲』
時の流れに忘れられていくかもしれません。
しかし、大熊集落のDNAに刻むべき歴史ではありませんか。
