2013年05月06日
大熊町歩き 唐人の墓
大熊の共同墓地は
前平の山の麓
大熊川(大川)の河口
金久にある。
墓地は大熊から有良に抜ける県道を境に上・下に分かれ、それぞれ上のハカショ・下のハカショと大熊では昔から呼ばれている。
元々は今の大熊公民館のある里浜にあったものを昭和12年に移転したものである。
その下のハカショの一画に
『唐人之墓』
という墓碑がある。
平成9年に大熊町内会により建立されている。

墓碑の裏には以下の写真のように由来が記されている。

大島代官記によると
1825年日本に来た84人を乗せた外国船が
大熊湾に漂着した 。
死者は村人に懇ろに葬られたとの古老の言い伝えである と言う意味でしょう。
1825年は江戸時代の終わり頃
奄美は薩摩藩の支配下にある砂糖収奪の時代。
この時代に
大熊の先人達の慈愛に満ちたエピソードである。
墓参りのついでにでも、お参りしてみてはいかがでしょう。
前平の山の麓
大熊川(大川)の河口
金久にある。
墓地は大熊から有良に抜ける県道を境に上・下に分かれ、それぞれ上のハカショ・下のハカショと大熊では昔から呼ばれている。
元々は今の大熊公民館のある里浜にあったものを昭和12年に移転したものである。
その下のハカショの一画に
『唐人之墓』
という墓碑がある。
平成9年に大熊町内会により建立されている。

墓碑の裏には以下の写真のように由来が記されている。

大島代官記によると
1825年日本に来た84人を乗せた外国船が
大熊湾に漂着した 。
死者は村人に懇ろに葬られたとの古老の言い伝えである と言う意味でしょう。
1825年は江戸時代の終わり頃
奄美は薩摩藩の支配下にある砂糖収奪の時代。
この時代に
大熊の先人達の慈愛に満ちたエピソードである。
墓参りのついでにでも、お参りしてみてはいかがでしょう。
Posted by おっしー at 21:53│Comments(0)
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