2012年11月05日
西郷南洲流謫地跡
安政5年(1858年)西郷さんは鹿児島錦江湾に僧 月照と身を投じたが蘇生した。
島津27代斉興の裁量により幕府に対しては、死亡したと届け出、菊池源五と変名して、この地に潜居と命じられた。
西郷さんを乗せた砂糖積載船福徳丸は安政5年12月10日 山川港を出帆して翌12日西郷松のそびえる阿丹崎に到着した。

《現在の西郷松》
はじめ、美玉新行の空き家を借家として2ヶ月住んだが、その後小浜の大島の名門郷士格 龍家の離れ家で過ごした。
安政6年3月から2年8ヶ月この家で過ごした。
この年の11月8日 龍 佐民夫妻の媒酌により龍家二男家の子孫 愛加那と結婚したが、西郷さん33才、愛加那23才であった。
翌文久元年 菊次郎誕生、2年有余住み慣れた龍家の離れ家からこの地に新居を構えた。

この新居に移転した次の日召喚状を受け取り文久2年1月14日この地を離れた。
この新居では2ヶ月たらずの生活であったが、この時 愛加那は長女 菊草を身籠っていた。
長男 菊次郎は9才で菊草は14才で、西郷本家に引き取られたが、菊次郎は京都市長を2期務めた。
菊草は大山巌元帥の弟精之助に嫁いだ。
残された愛加那はただ1人さみしく、この家で暮らし明治35年65才で死去した。
墓地は近くの弁財天墓地内にある。
この住居は、再建し現在に至る。
久しぶりに本龍郷の西郷隆盛謫居跡に鹿児島から奄美に来た親戚を観光案内してきました。帰りは龍郷 荒波地区を抜けて大熊方面へ
大島島司 笹森儀助氏が企画し、 勝 安房(海舟)が碑文を記した。石碑と愛加那碑文がありました。
折をみておいおい紹介します。
近場にも名所旧跡があります。
是非 行ってみてはいかがでしょう‼
奄美空港より約30分
龍郷役場手前を左へ 西郷松まえを通り
本龍郷集落内にあり
島津27代斉興の裁量により幕府に対しては、死亡したと届け出、菊池源五と変名して、この地に潜居と命じられた。
西郷さんを乗せた砂糖積載船福徳丸は安政5年12月10日 山川港を出帆して翌12日西郷松のそびえる阿丹崎に到着した。

《現在の西郷松》
はじめ、美玉新行の空き家を借家として2ヶ月住んだが、その後小浜の大島の名門郷士格 龍家の離れ家で過ごした。
安政6年3月から2年8ヶ月この家で過ごした。
この年の11月8日 龍 佐民夫妻の媒酌により龍家二男家の子孫 愛加那と結婚したが、西郷さん33才、愛加那23才であった。
翌文久元年 菊次郎誕生、2年有余住み慣れた龍家の離れ家からこの地に新居を構えた。

この新居に移転した次の日召喚状を受け取り文久2年1月14日この地を離れた。
この新居では2ヶ月たらずの生活であったが、この時 愛加那は長女 菊草を身籠っていた。
長男 菊次郎は9才で菊草は14才で、西郷本家に引き取られたが、菊次郎は京都市長を2期務めた。
菊草は大山巌元帥の弟精之助に嫁いだ。
残された愛加那はただ1人さみしく、この家で暮らし明治35年65才で死去した。
墓地は近くの弁財天墓地内にある。
この住居は、再建し現在に至る。
久しぶりに本龍郷の西郷隆盛謫居跡に鹿児島から奄美に来た親戚を観光案内してきました。帰りは龍郷 荒波地区を抜けて大熊方面へ
大島島司 笹森儀助氏が企画し、 勝 安房(海舟)が碑文を記した。石碑と愛加那碑文がありました。
折をみておいおい紹介します。
近場にも名所旧跡があります。
是非 行ってみてはいかがでしょう‼
奄美空港より約30分
龍郷役場手前を左へ 西郷松まえを通り
本龍郷集落内にあり
Posted by おっしー at 21:41│Comments(0)
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