2012年04月16日
奄美世・那覇世と大熊
奄美世(あまんゆ)
奄美大島が琉球王国の統治下におかれる前までの誰からも支配されることなく人々が伸び伸びとおおらかに暮らし
奄美人がもっとも奄美人らしく生きた時代
那覇世(なはよ)
諸説ありますが1266年から1450年の間に奄美大島は琉球王国の支配下に置かれた。 大熊誌では『中山世鑑』が伝える
1266年としているが一般的には『朝鮮王朝実録』の1450年頃 が主流 そのときから1609年の琉球征伐による薩摩支配までの時代を言う。
この時代に琉球の言語・風俗・因習などを大熊も受けることになる。
また大熊には能呂久米祝女(のろくめしゅくじょ)という、ノロの祭事が最近まで伝わっており琉球文化の遺風の1つとして民俗学的にも貴重な資料となっていたようです。
大熊も名瀬間切に属していたようでノロ家も現存しています。
またノロの辞令書も残されていたようです。
ノロはさしづめ琉球王国国家公務員って感じだったんでしょう。
間切とは大島統治上の行政区画で大島には名瀬間切のほかに笠利間切・東間切・焼打間切・住用間切・西間切・古見間切
などがあったようです。
この後に薩摩支配の大和世が始まる。
奄美大島が琉球王国の統治下におかれる前までの誰からも支配されることなく人々が伸び伸びとおおらかに暮らし
奄美人がもっとも奄美人らしく生きた時代
那覇世(なはよ)
諸説ありますが1266年から1450年の間に奄美大島は琉球王国の支配下に置かれた。 大熊誌では『中山世鑑』が伝える
1266年としているが一般的には『朝鮮王朝実録』の1450年頃 が主流 そのときから1609年の琉球征伐による薩摩支配までの時代を言う。
この時代に琉球の言語・風俗・因習などを大熊も受けることになる。
また大熊には能呂久米祝女(のろくめしゅくじょ)という、ノロの祭事が最近まで伝わっており琉球文化の遺風の1つとして民俗学的にも貴重な資料となっていたようです。
大熊も名瀬間切に属していたようでノロ家も現存しています。
またノロの辞令書も残されていたようです。
ノロはさしづめ琉球王国国家公務員って感じだったんでしょう。
間切とは大島統治上の行政区画で大島には名瀬間切のほかに笠利間切・東間切・焼打間切・住用間切・西間切・古見間切
などがあったようです。

この後に薩摩支配の大和世が始まる。
Posted by おっしー at 21:22│Comments(0)
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