2012年05月31日
大熊カトリック教会
大熊でのカトリックの宣教が始まったのは明治25年のことである。
一年ぐらいの間にかなりの信者が集まったので明治27年に都市計画前の敷地に教会を建てたようである。
建物は変わってますが、実に130年も歴史を経ているのである。
今から40年ぐらい前は教会は大熊の子供達の格好の遊び場で庭では集落の班ごとにチームをつくり ペラボール野球(大熊方言らしい)をして遊んだものです。 また、周りの川ではタナガやセイ・カエルを獲ったりしました。
教会の建物では『のみとり』と称して
建物の回りを両手で表面の突起している所をつまみながら一周する遊び (大熊人しか解らんかも)をしたりしてました。
教会隣りの伝道館では卓球をしたりしましたねぇ~
都市計画前のお御堂です。
50年前も再びUP
朝の6時 昼の12時 夕方の6時に聖鐘が時を告げます。
Posted by おっしー at 21:07│Comments(3)
│歴史
この記事へのコメント
御堂は、私たちの遊び場でしたね。
大きな松の木のクリスマスツリーも覚えています。
大きな松の木のクリスマスツリーも覚えています。
Posted by kyong at 2012年06月02日 12:01
ツリーっちあって? 覚えとらん。。。
でも、イヴの日は、
なぜか夕方にプレゼントを開け,ケーキを食べて一眠りし(ぼくんちだけ?)
夜中におめかしして教会へ行くのが、良い思い出となってます!
冬の空気が厳かさを増してくれたね。
でも、イヴの日は、
なぜか夕方にプレゼントを開け,ケーキを食べて一眠りし(ぼくんちだけ?)
夜中におめかしして教会へ行くのが、良い思い出となってます!
冬の空気が厳かさを増してくれたね。
Posted by たけし at 2012年06月08日 17:24
ツリーはクリスマス前から電飾つきの、だいばん松のがあったよ。御堂の中にはイエス誕生の飾りがあった
カトリック信者はみんな
夜の遅い時間にクリスマスミサにいったよ。侍者もした。
うちは、その後ケーキだったけどね! 富屋の(^ ^)
カトリック信者はみんな
夜の遅い時間にクリスマスミサにいったよ。侍者もした。
うちは、その後ケーキだったけどね! 富屋の(^ ^)
Posted by おっしー at 2012年06月08日 18:47