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2012年11月15日

大熊運営組織 今・むかし①


明治の初期から末期にかけて、現在の町内会長職は『世話人』と呼ばれいたとの事。
理由としては、
明治の御世にかわり戸長制度になり、『間切』が『方』をもってよばれ、各集落に世話人がおかれるようになったからである。

そして、明治末期から『区長』と改称。

昭和30年初めから『駐在員』と呼ばれた時代もあったようです。

しかし、私達か子どもの頃は『区長さん』って呼んでいた記憶がありますね。

大熊誌によると明治年間、集落の行政自治体として、『十人組』と称する役員制度があった。主として集落内の有力者で地主・見識者を以て組織し、『世話人』の補佐・相談役として集落の行政に参与し、集落内の問題の調停・秩序取り締まりに務め、絶大な権力があった。

十人組は名誉職であり教員・駐在の歓送迎会の宴会等の経費はすべて自費であって、出欠を問わず割勘だった

今でも、大熊では明治年間の『十人組』とは少し意味合いが違いますが、『運営委員』という組織があります。

明治年間から今と同じ様な運営方法なんですね。 驚きです。






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Posted by おっしー at 21:58│Comments(0)歴史
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