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2012年05月05日

大島の猪狩り 元祖

大熊には島津藩政下に3度代官所(仮屋)が置かれている。

その後に伊津部に代官所が置かれても役人達は2年交代で、交代後も大熊の仮仮屋で船待ちをしていたようである。

このようにして役人が、集まり仕事がないから弓の練習や猪狩りをしてその日々を暮らしていたようである。



奄美大島での猪狩りの元祖は大熊とのことである。
(大熊誌より抜粋)

江戸時代には笠利には猪はいなかったんじゃなあいですか?
今もいない?

その頃の狩りの方法は
役人が火縄銃を持ち、犬引きが逃路に立って、大声で追い立てた。
その人は大島方言で『アベヤ』といい
集落民住民だったという。

その頃は今のふぶくろのあたりから上の山の中まで入って狩りを
したんでしょうね‼






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Posted by おっしー at 15:24│Comments(0)歴史
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