2012年06月01日
田中一村の思い出
田中一村の思い出といえば
一年中夏も冬も、ステテコにランニングシャツ、背が高く猫背で大股の速足で颯爽と歩いていた姿が目に浮かびます。
僕らは、まだ子供だったので正直怖いイメージだった
『軍鶏』っていう感じでした。
大熊の久野工場の染色工場に通う途中に
歩いているのを見てたんでしょう。
もう有名人ですからエピソードも全て紹介されています。
こんなに凄い画家だとは子供の僕らには
全くわかりませんでした。大人もかな?
大熊の磯者が釣ってきた南国の色鮮やかな魚・本茶の峠の亜熱帯の自然・大熊の海岸・砂浜 ・山でさえずる鳥などなど
画題は豊富だったんでしょう。
10年ぐらい前に榎本孝明さん主演で田中一村の生涯を描いた映画の撮影が大熊でありました。 うちの母親も織子役で出てました。 残念ながら、映画はまだ見てないですが・・・
うちの母方の祖母の遺影は
田中一村が書いた物です。
鉛筆のようなもので丁寧に描いてありました。 裏には田中孝のサインがあったはずです。
うちの祖父と少し交流があったようです。 大熊には、たくさんいたはずですよ
もっと交流があったかたが
ネットで写真を見つけました
僕らの記憶の中にある一村画伯は、もっと白髪で眼つきが鋭く おじいちゃんだったような気がします。
一年中夏も冬も、ステテコにランニングシャツ、背が高く猫背で大股の速足で颯爽と歩いていた姿が目に浮かびます。
僕らは、まだ子供だったので正直怖いイメージだった
『軍鶏』っていう感じでした。
大熊の久野工場の染色工場に通う途中に
歩いているのを見てたんでしょう。
もう有名人ですからエピソードも全て紹介されています。
こんなに凄い画家だとは子供の僕らには
全くわかりませんでした。大人もかな?
大熊の磯者が釣ってきた南国の色鮮やかな魚・本茶の峠の亜熱帯の自然・大熊の海岸・砂浜 ・山でさえずる鳥などなど
画題は豊富だったんでしょう。
10年ぐらい前に榎本孝明さん主演で田中一村の生涯を描いた映画の撮影が大熊でありました。 うちの母親も織子役で出てました。 残念ながら、映画はまだ見てないですが・・・
うちの母方の祖母の遺影は
田中一村が書いた物です。
鉛筆のようなもので丁寧に描いてありました。 裏には田中孝のサインがあったはずです。
うちの祖父と少し交流があったようです。 大熊には、たくさんいたはずですよ
もっと交流があったかたが
ネットで写真を見つけました
僕らの記憶の中にある一村画伯は、もっと白髪で眼つきが鋭く おじいちゃんだったような気がします。
Posted by おっしー at 22:10│Comments(0)
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